JJでございます。
自分でも、驚きますが
57歳になりました。
この前、成人式だったのに。
30歳を超えたあたりから、毎年、そんな感じです。
昔は、毎年誕生日のパーティやプレゼントが楽しみでした。
小学校のときは、同じ月の生まれのお友達で合同の
誕生日パーティをホテルの会場を貸し切り開催して、
大勢で集まっていました。
お友達のプレゼントを買うのに大忙しでした。
今年は、誕生日に自分で予約販売で買った
復刻版の書籍がいつ発売されるのかと
そわそわと心配している誕生日でしたが
こぐまさんがシャトレーゼで桃のケーキを買ってくれたので
家族でいただき、とても美味しくて、嬉しかったです。
57年前の暑い日に、母は死にそうになりながら、
私をこの世に送り出してくれました。
もともと、私が生まれる予定日は7月7日でした。
しかし、待てど暮らせど陣痛が起こらず、
11日遅れて私は生まれました。
昔は初産の場合、遅れることが多かったと聞きました。
弟は予定日にすぐに生まれましたが。
彼は、生まれつき、せっかちな性格です。
現在は、予定日に合わせて早くから入院をして
母体に負担をかけないようにするようですが、
当時はそういったこともなく、
自然に生まれてくるほうが良いとされていた時期があったようです。
予定日を1週間ほど過ぎたあたりから、
母もプレッシャーを感じるようになったと言います。
入院をして、陣痛を起こす注射などの処置をしました。
私は、臆病な性格&のんびり屋なので、
「まぁ、もう少しここにいようかな。」
と、軽く考え、命の危険が迫ることも考えず、
母の居心地の良いおなかから出るのが
怖くてゆっくりと長居をしていたのだと思います。
大きくなりすぎた私は、
なかなか、産道を出られず、頭を吸いだされながら
この世に誕生いたしました。
そのおかげで、今でも頭の形がぼこぼこで、
丸坊主にすると、とんでもない形だと思います。
しかしながら、生まれた時にすでに
ぼあっと髪の毛が多く生えており、
誰も私の頭の形を見た人はいません。
そりゃ、11日も遅れて生まれてくれば、
髪の毛も成長してますよね。
母は大量に出血をして、輸血をしました。
まさに、命掛けです。
母も、私も生きていてよかったです。
それでも、母は最初に私を見た時に
「なんて、かわいいあかちゃん。
この子と死ぬまで一緒にいたい。」
と思ったそうです。
はい、死ぬまで一緒にいます。
まだまだ、人生これからです。
紆余曲折な運命の家族で、
心が折れるようなニュースであふれる毎日ですが、
家族が一緒にいられる時間があるだけで
しあわせなのです。
ふと違うところを見れば、
世界は希望と光であふれています。
あと、何年生きるかわからないけれど、
死ぬときに後悔しないような毎日を過ごします。
いつでも、未来は変えられます。
57歳を迎えることができて、
今までの出会い、すべての出来事に感謝します。
ありがとう。